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淀川リーグの発足は1982年(昭和57年)にまで遡ります。 当時、淀川右岸、 埋め立てによる荒地を会長の佐野氏が当時の建設局とかけ合い、 「自分たちの手によって整地するので野球グランドとして使用させてほしい」との交渉を重ね、 建設局の使用許可をとりつけました。 当時グランドとして使用できる状態ではなく、まず芦などの雑木、雑草などの伐採から始め、 その後、石などの取り除き作業、 土の搬入などすべての作業を会長やその長男、加島氏らの 手作業によりグランドとして使用できるようにしたものです。 リーグ発足当時のグランドは不完全なものではありましたが、 その後多くの方々のご協力もあり現在のグランドのような形に作りあげてきました。 その間、兵庫県南部地震、幾度かの台風被害がありましたが、その度に復旧に努めてきました。 各チームの方々、会長はじめ審判員が協力しあい今日に至っています。 当初は内・外野すべて土・芝であったのですが、 現在はライト・センター間にコンクリートの道路が通ってしまっています。 建設局との折り合いもあり、皆さんにはプレーへの支障、ケガなどの観点から 少なからずとも完全なプレーができないことなどについては申し訳なく思っています。 リーグ発足当時は8チームでリーグ戦を始めたのですが、発足当初からのチームとして フリッパーズ、西濃新町、ジャック、帝国製鋲、アドバン、エルフィンズが現在も参加されています。 在籍10年以上のチームも10チーム以上数えられます。 また当時の市議会議員である岡崎議員のご尽力によりトーナメント戦に 大阪市長杯という名目も取り付けて頂くことができました。 淀川リーグ発足時からの指針として 「自分たちの手で作り上げたグランドである限り、グランドの美化を心がけ、 他チームとの交流、親睦を深める。 」 野球が勝負事である以上、勝敗はもちろん大事だとは思いますが、 楽しく野球をやろうということが指針となっています。 勝敗に固執するあまり、相手チームへのヤジ・暴言、ラフプレー、チームメイトへの罵声、 審判員のジャッジ等へのクレーム等、 最近少し目に余るものが見受けられます。 それではせっかくの楽しい休日の草野球の楽しみも、楽しいものではなくなると思います。 また、審判員については、毎週休日をさいて1日平均5試合のジャッジをしていますので、 試合をしている選手方は不満が残る試合もあるかもしれませんが、 ご理解して頂ければありがたいと思いますし、審判員も日々技術の向上に努めております。 また試合等でグランドを訪れた際はゴミなどに気がつけば 少しでもゴミ収集所に持って行って頂ければありがたいと思います。 淀川リーグ協会 |